日本たべもの総覧
日本たべもの総覧(32)
酒【さけ】
「さけ」の語源には諸説がある。古語では「くす」といい、薬の「くす」から転じたともいわれる。酒の起源については、どの民族でも神話を伝えている。
エジプトではオシリス神がビールを教えたといい、ギリシャではバッカス神(デオニソスともいう)がブドウ酒を創製したという。中国では禹(う)王の娘儀狄(ぎてき)がはじめて酒を造り、のち杜康(とこう)に至って完成したので、日本でも酒造技術者を杜氏(とうじ)と呼んでいる。
日本ではスサノオノミコト(素戔鳴尊)が酒を造り、ヤマタノオロチ(八岐大蛇)に飲ませて退治した話が有名である。
しかし、日本の三酒神といわれるのは大和の大神神社(おおみわじんじゃ)の祭神・大物主命、京都の松尾神社の祭神・大山咋(おおやまぐい)命、山城の梅宮神社の祭神・酒解(さかとけ)命の三酒神である。また、少彦名(すくなひこな)命と大国主命も酒神として仰いでいる。『日本書紀』には、コノハナノサクヤヒメ(木花之開耶姫)がヒコホホデミノミコト(彦火火出見命)を出産するとき、めでたいというので、みずから「天の甜酒」(アマノタムザケ)を造ったとある。この酒は、文字通り口で噛んで糖化させ、吐き出して発酵させた酒である。つまり、「醸す」は「噛む」から生じた言葉であろう。噛んで醸したのは穀類で造った咲けであるが、これはかなり後で、人類がはじめて知った酒は猿酒の伝説が示すように、果汁が自然に発酵してできた果実酒であったにちがいない。
清酒【すみざけ・せいしゅ】
日本酒は元来、濁酒(どぶろく)であったが、のち清酒(すみざけ)が造られるようになった。伝説によると、慶長の頃(1600年)摂津鴻池の酒造家・山中勝庵の酒蔵で、ある男が鬱憤晴らしのつもりで灰を酒の中へほうけこんだところ、なんと清らかに澄んだ酒が得られたという。しかし、すでに平安時代から清酒を得る方法は知られており、鎌倉時代にも、かなりの量の清酒が用いられていたようであるから、にわかに信じがたい伝説である。
ただ、庶民の間に清酒が広まったのは江戸時代に入ってからであり、鴻池で灰汁(あく)を使って大量に清酒を造るようになってからであるとされている。
清酒の風味は、色が琉拍(こはく)、香りが芳醇、味は濃密をよしとする。また、五味といって甘・酸・辛・苦・渋味がほどよく調和したのをとうとぶ。この調和した状態を俗に「コク」といい、その優劣を判定するには専門家が利き酒を行う。こうして、灘や伏見の酒がよいとされてきたが、各地方のいわゆる「地酒」も捨てがたく逸品も少なくない。今日ではむしろ、大量生産を行わない地酒のなかに、酒の真価が潜んでいるともいえなくない。
ところで清酒の美点は、アルコール含有量が約17%で、ほぼ中庸を得ていることである。フランスなどでは水の悪いこともあって酒を飲み過ぎ、中毒患者が多い。日本でももっと強ければ中毒患者が続出し、もっと弱ければさらに強い酒を求めたことであろう。生一本をたっとんでチャンボンを避けたのは、この辺に理由がある。ただ、日本酒は食前酒であること、しかも刺身によく合う点で洋酒に比べるとやや幅がせまいことは否めない。
日本酒は本来、冷用したものであった。神事や冠婚葬祭などの儀式では、お燗をしないのが正式である。
参考資料「日本たべもの百科」新人物往来社刊