日本たべもの総覧
日本たべもの総覧(28)
最中【もなか】
「まんじゅう」「ようかん」と並んで、和菓子のなかでも有名なものに「もなか」がある。これは、はじめは干菓子であったが、のちに「あん」を入れるようになってから、生菓子と見なされている。
干菓子としては「最中の月」と呼ばれ、もち米の粉を水で煉って蒸し、薄くのばしたものを円形に切り、焼いて砂糖をかけたものであった。生菓子としての「もなか」は内側のくぼんだ皮のなかに「あん」を入れて皮二つを合わせ、合わせ目を濡らして付着させる。形はもとは円形であったが、現在では角形や小判形、花の形などいろいろ作られている。薄く焼いた平らな皮に「あん」を挟んだだけで、皮を合わせていないものさえ生まれている。「あん」も、小豆のこしあんやつぶあんのほかに白いんげん、柚子、ごまなど、さまざまのものが使われている。
落雁【らくがん】
もち米を蒸して乾燥した後、煎って粉にしたものと砂糖を混ぜ、「あめ」で煉って木型に入れて押し出し、「ほいろ」で乾かした菓子である。したがって、干菓子であるとともに打ち菓子でもある。
材料としてはうるち米、小麦、大麦、大豆、小豆、とうもろこしなども用いられる。また、これらに胡麻、紫蘇、挽き茶などを混ぜたものもある。名の起こりについては諸説があり、 一寸ほどの正方形を田圃に見立、表面に散っている黒胡麻を落ちていく雁(がん)と見て「落雁」と命名したという点では共通している。
たとえば、加賀名物の「御所落雁」は、小堀遠州がデザインした菓子を、加賀藩主の前田利常から後水尾天皇に献上したところ、「落雁」という勅命を賜ったうえ、次の和歌までいただいたので特に「御所落雁」と呼んだという。
白山の雪より高き菓子の名は
四方の千里に落つる雁かな
また、すでに室町時代末期に、近江百景の一つ、「堅田落雁」になぞらえて「落雁」と称したという。しかし、本当は中国の明に「軟落雁」という菓子があり、その「軟」を略したことに始まるようである。「らくがん」にはきわめて高級なものから駄菓子の類まである。
煎餅【せんべい】
せんべいには、大きく分けて二種類ある。一つは小麦粉を用いるものであり、もう一つは米を材料とするものである。
後者は要するに「塩せんべい」の系統である。伝説によると、僧空海が入唐した際(804年)、帝に招かれてご馳走を賜った。その時出された亀甲形のせんべいが美味だったので製法を教えてもらい、帰国すると山城国の和三郎という人にそれを伝えた。和三郎は葛、米の粉、果物の汁などを混ぜて焼き、「亀の子煎餅」と名付けたという。ところで、本格的にせんべいの生産が始まったのは、江戸時代に入ってからである。小麦粉に砂糖を加えて水でこね、蒸した後、薄くのばして型に切り、さらに火箸で挟んで焼いて作る。やがて、鉄の「かたなべ」が出現するに及んで、この中へ溶いた液を流し込んで両面をあぶるようになり、製作技術は著しく進んだ。
この種のせんべいで有名なのは、瓦せんべい、亀甲せんべい、味噌せんべい、胡麻せんべい、生姜せんべいなどである。
一方、塩せんべいは、もともと江戸に近い宿場町の草加などの農家で間食用に作られていたといわれる。それを商品として売り出したので「草加せんべい」とも呼ばれた。
参考資料「日本たべもの百科」新人物往来社刊