日本たべもの総覧

日本たべもの総覧(26)

水羊羹【みずようかん】

練り羊羹には梅肉を入れた「紅梅羊羹」や赤い小豆の蜜煮を入れた「小倉羊羹」をはじめ、栗、柚子、柿、薩摩芋、抹茶、海苔、胡桃など、いろいろの材料を入れた羊羹があり、年間を通して各地で作られている。これに対し、夏季限定の冷やして食べる「水羊羹」は、涼味が加わって格別美味であるが、材料はあん、砂糖、寒天、水で練り羊羹と変わらない。水分の量、混ぜる分量と製法が異なるのである。また水羊羹には見た目にも涼しげな梅の葉を添えるが、最近はビニール製の葉も現れるようになった。

饅頭【まんじゅう】

蒸し菓子の一種で、中国から伝わったものであるが、起源については次のような伝説がある。

紀元前二百年ごろ、中国は三国時代で英雄豪傑が輩出したが、その一人、諸葛孔明が兵を進めて壚水に達したとき、風浪が荒れ狂って河を渡ることができなかった。そこで従者が、蛮地では蛮人の風習にならって、水神の怒りをしずめるため、49人の人頭をいけにえとして供えるように、とすすめた。しかし、孔明は凱旋の途中であるから、一人でも殺すには忍びないといって、羊や豚の肉を麺に混ぜて人頭の形に作り、水神に供えたところ、風も波もおさまって、全軍無事、渡河に成功したという。この故事から蛮頭という言葉が生まれ、のち「饅頭」に転じたというのである。

さて日本では、古く唐菓子が伝えられたとき、その一つに混沌(こんとん)があり、(後に食偏に改められ餛飩となったが、これはうどんと呼ばれるようになった)小麦粉の皮で小豆のあんを包んだものであったから、これが「まんじゅう」の始めであるという説がある。一般には、次のような起源説が採用されている。

鎌倉時代のはじめ、京都建仁寺の竜山禅師が宋へおもむいた際、林浄因という人が弟子となり、禅師に従って日本へ渡来し、帰化して姓を塩瀬と改め、奈良でまんじゅう屋を始めた。これが奈良まんじゅうの元祖であるという。塩瀬家はその後、室町時代末期に京都烏丸通りへ出て、茶菓子をつくり、江戸時代になると江戸日本橋に移って幕府の御用をつとめた。

中国で孔明が作らせたといわれる。「まんじゅう」はもちろん「肉まんじゅう」であった。しかし、日本に入ったのは唐菓子も塩瀬家のまんじゅうも、肉まんじゅうではなかった。

その後、表皮のほうは、米や蕎麦粉など、いろいろと工夫が重ねられたが、「あん」のほうは依然として赤小豆を主とする豆類であった。ところで、製法は二種類に分かれた。一つは京都の「虎屋」(現在は本店を東京都港区赤坂に移転)をはじめ、各地の名物まんじゅうに用いられる製法で、甘酒の液をあたためて小麦粉を入れ、発酵させたものを皮にする酒まんじゅうの方法。もう一つは、塩瀬など江戸のまんじゅう屋で用いた製法で、重曹などの膨張剤を使った「薯蕷(しょよ)まんじゅう」である。現在、大抵のところでは膨張剤にベーキング・パウダーを用いている。

酒饅頭【さかまんじゅう】

小麦粉に酒種を加えて皮をつくり、あんを包んで蒸したまんじゅう。酒種の発酵による炭酸ガスを利用して皮をふくらませる。別名虎屋まんじゅうと呼ばれる。

参考資料「日本たべもの百科」新人物往来社刊

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