日本たべもの総覧
日本たべもの総覧(27)
蕎麦饅頭【そばまんじゅう】
「まんじゅう」は、まず、皮の研究からいろいろの種類のものが作られた。小麦粉を用いず、上新粉に長芋を擦り込んだ「そばまんじゅう」。煎った黒胡麻を加えた「虎子まんじゅう」。柚子の皮を摺りおろして入れた「ゆずまんじゅう」。味噌を加えた「みそまんじゅう」。挽き茶を加えた「挽き茶まんじゅう」。黒砂糖を加えた「茶まんじゅう=温泉まんじゅう」。蒸し上がった皮を薄く剥ぎ、上に焼け火箸等で焼き印をつけた「おぼろまんじゅう」。卵を加えた「吉野まんじゅう」などなど。一方、「あん」のほうも「こしあん」「つぶしあん」から「白あん」「ゆずあん」「きみあん」「くりあん」なども生まれ、さらに最近では「チョコレートまんじゅう」や「カステラまんじゅう」など、さまざまなものが考案されている。
また、地方の名物まんじゅうも数が多い。いくつか挙げてみると、岡山の「大手まんじゅう」福島の「薄皮まんじゅう」広島の「紅葉まんじゅう」、宇和島の「唐まんじゅう」、鹿児島の「カルカンまんじゅう」などである。
江戸と上方の饅頭【えどとかみがたのまんじゅう】
ものの本によると、浅草金竜山聖天宮の近くに鶴屋という店があり、江戸初期慶安の頃(1650年頃)お米という才女がいて、卵を材料にした「米まんじゅう」を売り出したところ、名物の評判をとったという。また、江戸橋のあたりでは「塩まんじゅう」を売っていたが田舎の人が食べるだけだったので、おのずと廃れてしまったという。
本所回向院の門前にあった伊勢屋では、享保10年(1725年)に、山城屋三右衛門という人が「花まんじゅう」を売り出した、という記事も残っている。
難しい字だが「薯蕷(じょうよ)まんじゅう」という上等なまんじゅうがあった。皮には山の芋を用い、本来は来客専用であったのが、いつしかいつでも食べるようになった。もっとも、このまんじゅうは主として上方で作られたようである。同じく、上方で作られたものに「おぼろまんじゅう」がある。皮を厚くして蒸し上げた後、上皮を薄く剥き取り、表面に焼き印を押したもので高級な贈答品として用いられた。一般に上方では贈答品には虎屋の「五文まんじゅう」を用いた。虎屋は、大阪の高麗通りに大きな店舗を構え、全国にその名を知られていた。 ちなみに、虎屋では今のビール券のように、まんじゅう切手を発行し、切手一枚を十個としたという。これは接待や贈答には虎屋のものでなければならなかったからであろうか。なお、まんじゅう屋の看板には木馬を出していたという。
銅鑼焼【どらやき】
まんじゅうと似た菓子に「どらやき」がある。形が銅鑼に似ているので付いた名称である。小麦粉・卵・砂糖を混ぜて水でどろどろに溶き、鉄板に胡麻油を引いて円形に焼く。焼き目が付いたら裏返して「粒あん」をのせ、さらに別に焼いた同じ大きさの皮をかぶせ、軽く押しつけて焼き上げる。
参考資料「日本たべもの百科」新人物往来社刊